奥深き令和哲学の世界

Noh Jesu氏のブログにて令和の新時代へ向けたメッセージがつづられています。毎回感銘を受けますが、その中の一つをご紹介したいと思います。

私が生まれたのは昭和であり、今よりももっともっと時代劇がテレビにあふれていました。歴史上の人物の生きざまに驚きと憧れを抱きつつも、全く違う世界の、ほとんど空想の世界の出来事として眺めたものです。

その中で、私が最も印象に残っている時代劇が、「三匹が斬る」というものです。
これは全くのフィクションの物語ではありますが、時代劇特有のお約束や様式美を踏まえつつも、大胆な笑いの要素や、そしてきれいごとだけでは語れない人間のあり様が描かれていました。

なぜそれほどにこの物語に惹かれたのだろう?
と考えると、それはやはり主人公「三匹」の、個性でありあり方であり、目指すところであったようです。それぞれが「自分の欲しいもの」をあだ名にしつつも、表に現れない何かもっと大切なものを共有しつつ、目的に向かうその道の途上でより大切なものを見据えていく…
今思うとそのように完成を開きながら眺めていたのかもしれません。

Noh Jesu氏のこの令和の記事を読んだとき、あのとき、時代劇とそれをみる私との「間」に、令和の「令」の縦棒に表わされる「わびさび」が存在したことを感じました。

昭和生まれの憧憬、だけで終わらず、それを裏付ける時代の始まり。
戦後私たちの間に育まれた文化が「令和」とそれを本質から定義するイメージのもとに縒り合されていく。そんな感覚を楽しむすばらしい記事でした。