私の中にあった出発の意志、それは
【足りない自分】
一枚だけ離れておかれた
「あけましておめでとうございます」
わたしの根本は、あの時のまま止まっていました。
何かを上に塗ることではなく、
その根本土台そのものを、
そのイメージを変えることが必要だったのに、
それが出来なかった。
そんなことができるという観点もなかった、
そもそも、
あのお正月の、そんな経験すら、忘れていた。
でもnTechと出会って理解したのは、
それだけではありませんでした。
その時背負った感情は、
自分の価値を上げなければならないという意思は、
自己の確立と自由への意志は、
ずっと大きな枠組みの中で作られたものだということが分かったのです。
我慢して成功すること、
既存の職業に対して憧れること、
自己の価値を高めようとすること。
それらは時代の感情によって造られたロールモデルだった。
nTechを通してそれが見えた時、
時代が見えて、歴史が見えて、日本が見えた。
それは、日本と出会うことでもあり、
だからこそ、日本の外からメッセージを投げる
Noh Jesu氏だからこそできることでした。
父は12年前に脳出血で倒れ、
言葉と半身の自由を失い、しかし今は穏やかに車椅子で生活しています。
その倒れる前日、最後の日記に記されていた
「思えば、私の人生は
我慢、我慢だった」
その一文には、父の人生だけに到底収まりきらない、
深く深く、巨大な背景があることも、
nTechを通して理解したのでした。