みなさま、小さいころから、とこやさんに行ってました?
私は、小学校低学年まで、母が髪を切ってくれていました。
その、母の散髪にお世話になっていた、
最後の頃のお話。
小学校低学年、
周りの友達にも、髪が長めの子が増えてきて、
私もその仲間でいたい意識もあったのでしょう、
母が散髪してくれる際、
「○○くんみたいに、長めにして」
と要求しました。
母は、「はい、はい」と了承して、
くれたように、見えました。
…
しかし、散髪が終わってみると、
見事な丸坊主!!
私は、
「長めにしてって言ったのに!!」
などと母を糾弾するような発想すら湧かず
ただただ、頭を抱えて泣き叫びました。
子供らしく、泣きました。
散髪したお風呂場、
タイルの床に散らばった毛、
北側の窓から差し込む薄暮の光、
そして、深い深い、「あきらめるしかない」という感情。
当時はそんな言葉は知らなかったけど、
まさに『覆水盆に返らず』とはこのこと、
いくら母をせめても、坊主頭は元に戻らない。
泣くしかない。
泣いて、あきらめるしかない。
あの時の母の判断を、今になって責めるつもりもありません。
大変合理的なものだったとも思います。
しかし、あのときの「あきらめ」は、
その後ずっと、
失敗した時、思い通りにいかなかった時の、
自分の対処パターンになってしまいました。
もちろん、無意識で。
パターン化した「あきらめ」に気づき、
その克服に着手できたのは、
nTechによる【無意識エンジン発見セッション】が
きっかけとなりました。
あの木のことを思い出すのは、
笑い話でもあるけど、もの悲しい。
でも確かに、過去と未来をつなぐ希望でもありました。