試合で危険なタックルを行なった選手に対して、
指示を出したとされたアメフト部の元監督について、
検察は、起訴を断念した。
そんなニュースが流れました。
その上で、タックルを行なった選手については
刑事訴追されるのだという。
正直なところ、ショックなニュースでした。
なぜショックなのか、と考えると、
一般的に形成されている
「日本人的な感覚」と相容れない、
と私が感じるからであるようです。
それは、
実際に危険行為を指示したかどうかはもはや問題ではなく、
このような話が起こること自体に
指揮官としての資質と責任が
問われるはずだ、という観点でした。
理想とかけ離れた組織の姿が、
改めて浮き彫りになる
事件の結末ではないでしょうか。
しかし、今回表面化したこの件の背景には、
ギリギリのところで舵取りを続ける
組織とリーダーの現実があると思います。
悪意は無くとも、
信頼の危機・団結の危機を招く
リーダーとメンバー、組織の軋轢。
組織とは何なのか、リーダーとは何なのか
チームプレイとは何なのかを改めて考えるとき、
紹介したいコラムがあります。
コラム | Noh Jesu(ノ・ジェス, 盧在洙)オフィシャルサイト – NR JAPAN代表・観術創始者 -:人間性能をバージョンアップし、美しいチープレーで現実を楽しむ精神文明の時代へ
この件を、責任問題で終わらせるのではなく、
根本的に解決するならば、
監督と選手の分離、敵と味方の分離…
立場と役割で分離したところから出発する
考え方をほどき、再構築する必要があります。
ならばどのように解き、
どんな仕組みで再構築すればよいのか?
そのヒントがあります。