認識の渋滞

長野(南信州)・東京間を移動するときは、
費用対効果の関係でほぼ毎回、高速バスです。

昔からですが、中央道は少なからず渋滞しますね。
時間通りに到着するかどうかは、
私の感覚では5分5分といったところです。

渋滞のメッカ、小仏トンネル。
日曜夕方の上り線などはひどいものです。

渋滞に巻き込まれると、なぜイライラするのでしょう?

もちろん、目的地に予定の時間につきたいのに、という
不満からくるものでもあるでしょうが、
最も大きな要因は、

いつ抜けられるかわからないこと。

これに尽きると思います。
いつまでこの、ちょっと進んで止まって、を
繰り返さなければならないのか。

先の見えない不安・見通しの効かない苛立ちは
「○○キロ先故障車あり」
などの電光掲示が見えた瞬間、
急に和らいだりします。
そこまで行けば、渋滞が解消するかもしれない!
その希望が見えるのですね。

先の見えない不安は、日常でも、
何かしらの節目でもよくあること。

認識が渋滞を起こしてしまった時、
多くの場合私たちは、その渋滞の中からしか
状況を見ることができなくなっています。

道路上で実際の渋滞に捕まったら、
上空から状況を確認したり、ということは
そうそうできません。
せいぜい「渋滞あと○○キロ」のような希望の光が
見えることを願うか、
自然解消するのを祈るか。

しかし認識の渋滞ならば、
nTechによる「統観」で全体を把握し、
必ず目的地にたどり着くための旅程を引き直した上で
また渋滞の中に戻っても、それを楽しみながら
着実に進めるはずです。

アルバート=アインシュタインがこんなことを言ったといいます。

「旅行は好きだが、目的地に着くのが嫌いだ」

本来渋滞は、この上ない楽しみかもしれませんね。