本題に入ります。
先に紹介した『はたらく細胞』には、
いくつかの、いわゆる「スピンオフ作品」があります。
そのひとつが、
『はたらく細胞 BLACK』
明るく軽快な原作に対して、
こちらは細胞たちがはたらく「体=せかい」に
爛れた生活・不摂生を続ける
人間個体を設定しているのが特徴です。
毎日のように胃に降ってくるアルコール、
昼夜問わず肺に流れ込むタバコの煙、
不摂生が起こす生活習慣病…
あらゆる体=会社のツケを
全てそこで働く細胞=社員に押し付ける、
「ブラック企業」の姿。
容赦のない環境からの攻撃にさらされながら、
必死にはたらく細胞たち。
『はたらく細胞』が描くのが
生命体組織の理想だとすれば、
『はたらく細胞 BLACK』が描くのは
その現実、と言えます。
何のためにはたらくのか、
その指針を失い、疲弊していく。
はたらくとは何か、生きるとは何か、
細胞たちではどうすることもできない状況で、
抗生物質や外科治療によって延命する、せかい。
それでも、はたらく。
本来、「ティール=進化型組織」、
次世代組織のモデルであるはずの、生命体。
その実態は、このようだ、と。
細胞たちからすれば「体=せかい」である私たちも、
日々なんらかの組織の中で、
なんらかのツケを押し付けられ、
はたらくとは、生きるとは、
意識的にしろ無意識的にしろ自問しながら、
それでも、はたらく。
作中では、
心筋梗塞で死の淵に瀕した「体=せかい」が、
心肺蘇生法によって
九死に一生を得るドラマがありました。
その後、「体=せかい」は
生活を改めます。
細胞たちにとって、
「体=せかい」が変わること、
その意識を変えること、
その選択を変えることが、
そのまま希望となりました。
「この環境でなら、頑張れる!」
と。
では、
細胞たちにとって人体が「体=せかい」ならば、
私たちにとって「せかい」とは。
会社?
国?
人それぞれではない、
本質的な「せかい」をどう規定するか、
「外」をどう規定するか。
何が変われば、私たちの希望となるのでしょう。
そこで、認識技術=nTechです。
パーソナルユニバース(PU)。
nTechが案内する、
認識OSによるPUの起動。
これがその答えに踏み込む
重要な一歩に違いありません。
ブラックなせかいから、その先へ。
nTechを持って『はたらく細胞 BLACK」を読めば、
生命が途方もない時間をかけて
実現してきた【進化】の歴史を、
私たち「体=せかい」がひとつの”精神細胞”となって、
つぎの次元で引き継ぐ時が来ていることが、
よくわかります。