認識技術を学び始めて数年後のこと。
私は認識技術に基づいて事業を展開する会社に所属しており、そこで志も寝食も現場も共にした同僚との間でのお話です。
その彼の仕事ぶりは大変丁寧なのですが、如何せんこだわりすぎてしまうところがあり…
・仕事が、期限までに終わらない。
・顧客が気にしているポイントとは、違うところにこだわってしまう。
・事前に確認・約束しても、その時々の自分のこだわりを優先してしまう。
といった事例が頻発しました。
それは私が彼とかかわる以前からのことのようで、周囲の先輩方や同僚からも
「彼はああだからね…」
「いくら言っても、どうにもね…」
というようなあきらめに近い声も聞かれました。
思うように変化・成長できない彼を蔑視するような空気さえ、私は感じていたのです。
しかし、私から見て、誰よりもあきらめていたのは、彼自身でした。
ある日の現場にて、私がリーダー役となり、彼がサポート役となりました。
今日こそは、
・イメージを共有して!
・目標を明確にして!
・二人で合意して!
なんとしても彼と二人で、この仕事を成功させたい!
と私は意気込んで事前打ち合わせを行い、彼もそれに納得し、
じゃあ、行こうか!
と現場に臨んだのでした。
しかしその仕事が終わってみると。
やはり、合意したはずのイメージや目標はその場のこだわりによって反故にされ、顧客に迷惑をかける結果になってしまいました。
現場から帰る際、私は彼に言います。
「なぜです。約束したのに」
「わかっているけど、しょうがないじゃないか」
憮然として言う彼の言葉を聞いて、私たちは無言になりました。
この時私は、感じていました。前の記事で書いた、あの帰り道の虚しさを、怒りを、焦燥を。
しかし、この時にはすでに、認識技術がありました。
こんなはずじゃ…ない!
私が【本当に伝えたいこと】とは、何なのか。
現場から事務所に戻り、彼と二人の空間でふと向き合った時、ついに「それ」が、骨髄深くから沁み出し、言葉になりました。
私は、、
あなたがみんなにばかにされることが、
我慢ならんのです…!
言葉と同時に、なぜか涙が、まさに滝のごとく溢れました。
「みんな」に私自身も、そして彼自身も含まれていることを、私も彼もわかっていました。
私は悔しさでも、うれしさでも、悲しさでも、どれでもない感情をたたえた涙を止めることができず、そして彼はそっと手を伸ばし…
「そうかあ…。ありがとう。」
と、おいおいと男泣きする私の頭を撫でたのでした。
認識技術は、All-Zero化の技術です。
「彼はああだから…」とか「自分はこうだから…」というような意識的にも無意識的にも固まった観念をリセットし、無限の可能性から、相手も自分も創造的に規定しなおすことができます。
この時の私の憤怒は、
彼の無限の可能性が、毀損されている
ことに対してでした。
無限の可能性から彼自身を規定しなおしたときに、自然に湧く「もの」を見つめ、それを言葉にする。
そしてそれが、「しょうがない」とあきらめていた、彼自身の深くにある「涙」とつながる。
これが、【調停】でした。
認識技術によって確認できる、共通の土台があるからこそ可能な、「真の関係性」を築くための、最初の一手です。