「明治150年」
今年は各所にて、その話題や催しがありました。
その一つ、「しんぶん 赤旗」の記事に、このようなものがりました。
明治150年とはなんだったのか
– 戦争ばかりだった日本 –
1874年の台湾出兵から始まり、
日本は侵略戦争ばかりしていた。
今現在も実質的に軍隊を持ち、
平和とは程遠い道を進もうとしている。
歴史に対しては様々な観点が存在します。
その中で、一面的ではあれ、
近代から現代は、常に戦争状態であった、ということは
納得のいく観点でもあります。
その記事は以下のように締めくくられていました。
戦争ばかりだった150年だか、
戦争も軍隊もなかった時期が4年間だけあった。
1946年〜1949年である。
占領され、屈辱的だったという側面を強調する人もいるが、
その時の日本は輝いていた。
あの意志を忘れてはならない。
これも納得のいく面があります。
だからこそ、NHKの朝のドラマも
その時代を描いたものはだいたい高視聴率を獲得する。
その時日本人は何を失い、
何を考え、何を目指していたのか。
ある意味、それが戦後のヒューマニズムの原点となっていると思います。
しかし、そこから戦中・戦前の歴史を、
その中で生きた人々の想いを、判断を、
審判できるのだろうか。
戦前に積み重ねたどんなあり方が、
「戦後」を生んだのか。
戦争とはなんなのか、
戦争の歴史とはなんなのか。
平和の観点からしか語れなければ、
本質を失ってしまうのではないか。
歴史は一方向、
戦前に戻ることも、戦後の4年間に戻ることもない。
生きて変化し続ける今と向き合うためには、
やはり「生きていた歴史」と向き合う必要があると感じます。