長男として、
60年ぶりの男児として生まれた。
新しい農業で家族に、地域に貢献してきた祖父、
婿養子でありながら、
その人間力で家族からも地域からも絶大な信頼を寄せられる父。
いずれそうなることが期待されていると思った。そうありたいと思った。
その父がつくる海で存分に泳ぎ、自己を実現していく母、姉たち。
学歴を積み、職歴を積み社会へ羽ばたいて活躍する親戚、いとこたち。
私は常に、一番うしろからついていった。
必死に?
当時はそうは思わなかったけど、必死だったのかもしれない。
その構図は、私にも、私を取り巻く誰にも、
どうすることもできないものだった。
どうすこうする必要もないものだった。
教師を目指したのは、父と姉が教師だからで、
その一身に信頼を集める姿を見て、
自分もそうあらねばと思ったからだった。
だから、教えること、子供を導くことは真の意図ではなかった。
自分を実現するため、責任を果たすため、期待に応えるため。
無意識に規定した確固たる基準はそこにあり、
それに対する妥協は許されなくなっていった。
何を求められているか、
何を望まれているか、
それは、もはやどうでもよくなってしまった。
期待に、答えられたか、答えられないか。
その、結果のみがすべてを裁いた。
それは、すべて、私の中で。
卒業論文を書けずに、大学を辞めた。
諦めた?
怠けた?
その通りだった
しかしそれは【結果】によって裁かれた後の、執行だった。
【期待されるような】卒論は書けない。
【期待されるような】教師にはなれない。
私の基準はそう裁いた。
裁決の主体が「私の基準」だったのなら、
その対象は…
私と私の宇宙すべてだった。
教師になろうと志した道で、
教育はすべて、その教師の「人間力」に依存していると知った。
ただ知識を詰め込むのではなく、
何を、何のために、どのように教えるのかが大切であること。
それは個々の教師の人間力次第であること。
そして、その人間力を高めるための取り組みはあっても、
確立した方法論はないこと。
その道の上に、私はいた。
ここではないどこかへ行けるという、確証のない、道。
私の基準が裁いた。
あなたはこの道の上で、期待に応えることは、できない。
大きな流れからそれ、よどみにはまっていく意識。
「せめて、社会に対して責任が果たせる程度の仕事を…」
よどみの渦に巻き込まれるように、
自分が小さくなっていく。
「せめて、自分が生きていけるだけのお金を稼いで…」
それから本を読むこと、人に道を問うこと、あらゆる学ぶことは
自分を小さくすることに大いに役立った。
「せめて、目の前の人の不快にならないように…」
そこまで小さくまとまったとき、
異質な言葉と出会う。
Noh Jesu。
その韓国人の前で私は、
いかに自分が期待に応えられない人間なのか、
いかに小さい人間になってしまったのかを、
直接ではなく、
「そのときの私の問題意識…社会に対して問題だと思っていることについて」
尋ねることで、暴露してしまった。
話しながら、私はなんと小さい人間だと、自分を嘲笑いながら。
Noh Jesuは、静かに答えた。
「それは、普遍的個人の問題だよ。」
静かな、深い衝撃は、よどみにはまった私の意識を、
源流に向かわせるに必要十分だった。
それ以上でもそれ以下でもいけなかったに違いない。
ずっと、私という「特別な個人」の問題だと思っていた。
いや、裁いていた。
意識でも、無意識でも…
期待に応えられないこと。
期待されていると思い込むこと。
相手の期待がなんなのか知ろうとしないこと。
期待という重荷を負わせる周囲を恨むこと。
同じ期待にいつも応えられないこと。
すべて、すべて「私」の問題だ。
違う、そうじゃない。
あなたがいくら頑張ったところで、
それらは根本的には、どれ一つ解決しない。
前提が間違っているだけなのだ、
期待という妄想、
自分という執着、
あなたにとってそのように顕在化した問題は、
あらゆる存在にとって普遍的なメカニズムで形をなしている。
気づくだけでいい、
その「観点の問題」に。
そこから、私の人生が始まった。
悩みもする。苦しみもする。
でも、普遍的個人の問題から、目をそらさないこと。
そこから始まる道の途上にいることが、
常に日々の感動と活力を、与えてくれる。