犬が逃げた話

犬が逃げた。
散歩中の、私の誤った判断で、
あっという間に走り去り、夕闇が迫る堤防の陰に消えた。

追い、走り、走り、走った。
見つからない。


先日写真を一度あげた、黒い柴犬です。
近くの川の堤防、歩行者用の道で。

10年ほど前飼っていたシェルティ(シェットランドシープドッグ)は
散歩の時はいつもこの道でリードを外し、
そこのは10メートルほど走ってこちらを振り返り、
時にこちらに駆け寄り、時に私が追いつくのを待ち、
堤防を降りるまで好きに走らせたものでした。

今いる柴犬は、常に走りたくて走りたくて仕方ない。
自宅にいても常に繋がれているし、
運動不足だろうなあという思いもあり、
あの犬のように、リードを離してあげられたら良いなと
呼び寄せるための餌を用意し、
堤防の道に放ったのです。

あの犬のようにはいきませんでした。
全くこちらを省みることなく
黒柴はかけてゆき、堤防の上で再会することはありませんでした。

堤防の下には、交通量の多い道路が走っています。
前の犬は車を怖がり、決してひとりで渡ろうとはしなかったが、
今の犬は横向きの注意が極めて散漫で
いつも道路に突っ込んでいた。
勝手に渡ろうとして撥ねられでもしたら、と
気が気ではありませんでした。

結局のところどうなったかというと…

なんと、自宅の近くまで帰り着いていました。
ああ、良かった…

が、隣の家の庭から飛び出してきたのを見つけて、
呼んでも帰ってこない、近づいてこない。
散々餌や水で釣って、ようやく繋いだのでした。

今回のことで、改めて私は
痛烈に反省しました。


私の中には、常にあのシェルティがいた。

あの子のように、
飼い主を慕ってほしい。
飼い主を待っていてほしい。
呼んだら駆けてきてほしい。

常に、あのシェルティが基準だった。

それと比較することでしか、
この黒柴と出会っていなかった。

この黒柴と私は、
まだ出会っていなかった。

私は死んだんです。
もういない。

私のために、
家族を、危険に晒さないで。

私の中の、
あの子が叫ぶ。

黒柴は、今、繋がれて、
何事もなかったようにご飯を要求して盛大に吠えたり、
小首を傾げたりしている。