思いにこたえたい、その思い

大事なことを決めるとき、
日常の中で判断するとき、
私の基準には、
「思いにこたえたい」
という思いがありました。

しかしあるとき、悩みます。

【どうやって、こたえたらよいのだろう】

誰かの思いにこたえようとしても、

真面目に生きてほしい、
成功してほしい、
もっと挑戦してほしい、
自分らしさを発揮してほしい、

それらすべてにこたえることなんて、できるのだろうか。
ひたすらに育ててくれた親に、
真剣に向き合ってくれた恩師に、
どのように思いにこたえたらよいのか。。

それよりも、なによりも、

その人が、本当に願ってくれていることは、
なんなのか、

大きな決断に際するたびに、
悩み、そして納得のいく結論はないまま、
選べそうなものを選ぶ…ということを繰り返したように思います。

誰かのために、と思いながら、
実際誰のためにもなっていないな…とも、思いながら。

その時見えていなかったのは、
本当に願ってくれていることは何なのか、

私がその思いにこたえたいと思うひとの、
表現することだけではなく、
その奥深くにある願い、
願いを生み出すエネルギー、
その一番中心にある何か大切なもの。

どうやってそれを見るのか、
目に見えないもの、耳に聞こえないもの、肌に感じられないものを
どうやって共有するのか。

認識技術(nTech)と出会った当時は、
そのような問題意識は明確ではありませんでしたが、
今になってみると、その限界を抱えていたからこそ、
そのための技術と出会ったのだな、と思います。

思いにこたえるための技術。

とても、あたたかいもの。