「君に聞いてみたいことがあるのです。
昨今音響技術は進歩して、
昔とは比べ物にならない音質で
録音し、再生することが可能になりました。
だというのに、
何十年も昔の、
低音質のレコードなどに残った演奏が
“名演”として世に評価され続けるのは
なぜなのでしょう?」
中学校から大学まで、吹奏楽部に所属していました。
冒頭の問いは、大学時代、
実は吹奏楽部とはあまりかかわりのない、
美術科の教授に突然飲みに誘われ、
その席で、静かに、訊かれたものです。
その当時、私はなんとも答えることができませんでした。。
今ならどう答えるか。。
距離
「その時代が持つ“距離感”ではないでしょうか」
そんなふうに応えようと思います。
作曲家、指揮者、演奏者、そして聴衆。。
今の時代が実現しにくいのは、特にその
作曲家との距離を縮めることです。
作曲された時代の、
空気、情勢、意志、渦巻くそれらが
かたちになり、芸術になる。
時の芸術。
その時にしか実現しえない、時代の一体感が、
どれだけ科学技術に支えられて音質をあげても
埋められない差なのではないでしょうか。。
そんな答えを、
あの美術の教授はどんな面持ちで
聞いて下さるだろうか。。。
でも今なら、
この先ずっと、過去の名演を上回る
芸術が生まれえないというのではなく、
科学技術が担う分野のその先、
時代の距離感をつなぎ、
いうなれば、時を超える、その技術が、
芸術を次の次元へ導いて、
また新しい名演が生まれていくことを
確信しています、
そんなことも合わせて、
お伝えできる。
そんなふうに、思っています。